2013年3月18日月曜日

ラリーアメリカ参戦紹介/ブログの翻訳が完了しました! Translation was completed.

イギリスのモータージャーナリストLeslie Marbonさんが、ラリーアメリカ終了後に書いてくださった記事の翻訳が完了しました。英文翻訳はアールエスタケダのお客様である古橋範雄様の全面的なご協力によるものです。古橋様、ほんとうにありがとうございました。


Reforcussing:Leslie Mabon,Words on Wheel
ラリーアメリカデビュー! ムラセの厳しい試練。

私はシビックタイプRで全日本ラリーに挑戦し、シリーズチャンピオンを獲得。スコットランドにいる私たちを唸らせた日本のラリードライバー「フトシ・ムラセ」について以前このブログに書いたことがある。

彼は全日本チャンピオンを獲得した翌年に三菱ランサーで全日本にスポット参戦したが、その後仕事の関係で米国に赴任、やむを得ずモータースポーツ活動を休止することになったのだ。



今年の初め、フトシがブログに私の記事をリンクしてくれたことに感謝して彼にメールを送ったところすぐにタイムリーな返信が来た。内容は2年間のアメリカ生活でラリーを再開したい気持ちがピークに達しており、ちょうどフォード・フォーカスのラリー車を買ってアメリカ国内のラリーに参戦をする計画を立てていたところだというのだ。2月末にミズーリ州で開催されるラリー100ACRE WOOD RALLYを皮切りに数戦に参戦を計画中だという。

その話を聞いてから私は数週間の間、フトシのブログをいつもチェックしていた。

彼のインディアナポリスの自宅ガレージに置かれた鮮やかな黄色のフォードフォーカス。配送されてきた競技用のパーツ類や勉強のために入手した昨年のラリーのペースノートの写真など。彼のブログを読むだけで、たいへんな苦労と努力をしているのであろうことが伝わってくる。



コ・ドライバーを務めるのは、フトシが今回購入した黄色のフォーカスでもコ・ドライバーとして活動していたアメリカ人のキーラン・ライト。彼は経験豊富な地元アメリカのコ・ドライバーだ。そして武田浩美(フトシのシビックとランサーを製作したアールエスタケダの社長)も今回のラリーのためにアメリカに行くという。

RALLY」は言葉や文化を超えた一種の言語であるといわれる。みなさんが世界のどこにラリーをしに行っても、そのラリーがフレンドリーで熱心なボランティアスタッフにより運営されていて、ラリーに熱い情熱を持つ人たちと出会うことで、その通りだと思うだろう。

しかしラリーは国や地域によってその形態やルールが多少異なっている。たとえば日本のラリーはほとんどが舗装路で行われるのに対して、アメリカのラリーは英国のそれと似た森の中の未舗装路(グラベル)で行われる傾向にある。使用される車も違いがあり、ラリーアメリカの写真ではこれまで見たことのないラリー車も多く見ることができた。アメリカのラリーに出るということはこのような文化的、言語的な違いや環境の相違からくる様々なプレッシャーを乗り越えなくてはならないということでもあるのだ。

ラリーから2年半離れていたフトシは、母国とはまったく異なる大陸で初めてペアを組むコ・ドライバーとともに初めてドライブするマシンでラリーに復帰することを選んだ。さらに不幸なことにラリー当日にミズーリを襲った悪天候が、コースを氷と雪で覆い尽くしていた。



今回のラリー100ACRE WOOD RALLYが、単にラリーであるからという理由でいままで参戦してきた全日本ラリーと同じかというとまったくそんなことはない。確かにラリーはラリーだがまったく別物であるといっても過言ではないだろう。




100AW RALLY Day1
ラリーウィークが始まると、私は自宅のコンピューターからウェブサイトをフォローした。ラリーアメリカの主催者はホームページ上でタイミングよくライブ情報を提供し、天候の情報もアップしてくれるので現地の状況がよくわかる。またアールエスタケダの社長もインターネット上にレビューや速報、さらにフトシのインタビューなどを次々と掲載していた。(そのほかアメリカ料理のレビューも掲載)

フトシは次から次へと襲い掛かる難題に全力で対応していた。そんな状況にも関わらず彼は一日の終わりにブログを更新し、ラリーの詳細や写真を掲載していた。

コンピューターの前でステージリザルトやタイムを見てやきもきしていても、現場にいるクルーやスタッフに比べれば辛いことはなにもない。しかし、こうしてウェブを見ていると突然「リタイヤ」の文字が現われるのではないかと心配するのも確かだ。



私が100ACRE WOOD RALLY初日開催日の遅い時間にサイトを見たとき、フトシ/キーランの39号車の2つのステージタイムが非常に遅くペナルティが課されているのに気付き緊張した。なにかのアクシデントに見舞われたのか?それともメカニカルトラブルか。私は過去に友人がラリー中に両方のトラブルに見舞われたのを見ているのですごく心配した。



しかし、ありがたいことにアールエスタケダのブログにビデオコメントがアップされていた。そこではフトシがステージ上でマシンがパンクしたことを説明している。これは厳しい試練だと。クルーはパンクでタイヤを失い、ステージ内でのタイヤ交換のためチェックポイントに戻るのが遅れたためペナルティが課されていたのだ。

それでも彼らは走り続けていた。これは彼がこのラリーで学び、ステージで経験を積むことが「まだできる」ということに他ならない。

ナイトステージのループをフトシは走っていた。もちろんナイトステージにも凍結した路面にも慣れる時間などまったく与えられていないが、日本の2WDチャンピオンは持てる力のすべてを発揮して走り続けていた。

普通の人間なら、このようなステージを3つこなせば疲れきって倒れてしまうだろう。しかしフトシは一息ついた後でビデオインタビューを受け、寝る前にラリーのレポートをアップするエネルギーを持ち続けていた。






100AW RALLY Day2
ラリー2日目は天候がわずかに改善したものの、ウエットグラベルに雪と氷の混じったステージの状況から厳しいコンディションであることは明らかだった。フトシのフォーカスはSS9で再びパンクし、SS11ではコースアウトによりアンダーボディを損傷した。(幸い、いずれも大きな問題にはならなかった)

私はコンピューターの前に張り付いて、武田さんのブログ更新を見続けていた。そして「サービスイン」「走行中」というタイトルを見るたびにほっとしていたのだ。

間違いなくこのラリーを見て英国の選手は「タフなラリーだ」というだろう。SS13ではRSタケダ/USUKラリー・フォーカスのエンジンは謎の不調に悩まされ5500RPMから吹き上がらなくなった。この問題はその後のサービスで解消できたようで、これがこのラリーでの最後のトラブルになった。

気温が上昇し路面に土が顔を出してきたため、後半のステージでタイヤを4輪ともグラベルタイヤにスイッチしたが、その後のナイトステージでは丘を越えた後の右コーナーのブレーキングポイントが凍結しておりマシンはあやうくコース外に転落しかける。しかし幸運にもクルーはこの危機的状況を生き残りサービスパークに戻ってくることができた。

様々なトラブルや困難を乗り越えてフトシ・ムラセは初めてのラリーアメリカを完走した。フトシ・キーラン組はラリー本部のあるセーレムの町に総合19位、クラス7位で帰還。総合優勝は英国人のデビッド・ヒギンスとクレイグ・ドルーのスバルインプレッサであったことも追記する。

しかしフトシにとってこれは単なる結果ではない。多くの初めての経験を得ることや、長いオフで鈍ったドライビングの感覚を戻すことのすべてを含めた新しいスタートに向けての第一歩を踏み出したに過ぎない。ネイティブスピーカーの読むペースノートに慣れ、シビックの高回転エンジンとは異なるフォード・フォーカスの特性を知ったことやアメリカのラリーのプロセスにじかに触れることで、多くを学ぶことができただろう。。

フトシ・ムラセのラリーアメリカ完走は日本でも報道されていた。Yahooニュースの更新記事の中でも取り上げられ、シーズン開幕に向けて準備する佐藤琢真選手の話題よりも優先されていた。日本のラリー関係のサイトでも同様に記事が掲載され、凍結したステージを走る非常に目立つフォーカスの写真が掲載されていた。


Stage view 02/19/2013


100ACRE WOODS RALLYはムラセの完走により、アールエスタケダのドライバーが完走したラリーの中でもっともタフなラリーとなった。新しいマシンと新しいクルー。初めての路面と国。しかし、イベント中にアップされた武田さんとムラセのツィートとブログからわかったことは、彼らを支えたのはアメリカのラリーコミュニティからの非常に暖かいサポートや励ましであったようだ。


ラリー競技はフットボールやフォーミュラー1のように一般の関心が高いとはいえないかもしれないが、参加者たちは世界のどこに行こうとも暖かく歓迎されることは保証できる。RSタケダ/USUKレーシングのリアに掲げるスローガンの通り、ラリーの世界は「互いに高めあおう!」 Be Excelent to Each Other なんと素晴らしい言葉ではないか。





Translator:古橋範雄
Editing:Hiromi Takeda







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